「先生、ありがとう」
A君は、私のジャンパーを机の上に置いて逃げるように教室を出て行きました。
「あれ、どうしたのだろう」と思ったのですが、学級の事務に追われそのままにしていました。
A君は、五人兄弟の長男でした。生活のために、お母さんは昼も夜も働いていました。そのためA君は、家に帰ると兄弟の面倒をみる心の優しい子どもでした。
学校では、そのような一面は見られず友達と喧嘩をしたり、教室から抜け出し市内の駐車場をまわり、車上あらしを繰り返し何度も警察に補導されました。
彼の担任になって八ケ月が過ぎた寒い十一月のある日、半袖シャツだけのA君があまりにも可哀そうなので私の着ていたジャンバーを貸してあげました。
退勤時、ジャンバーを手にした際、胸の鼓動が激しくなりました。その日は、ジャンバーのポケットにお金を入れてあったのに気付いたからです。
「俺がこんなに信頼し、可愛がっていたのに」
怒りにまかせA君の家に行きました。家には4人の兄弟が肩を寄せ合う様に座っていました。
「お兄ちゃんは、お菓子を買いに行くと言ってた」
私はA君の立ち寄りそうな場所を探し回りました。疲れた足をひきづりながら木更津駅の西口から東口に向かっていた時です。連絡通路の窓辺に座り、眼下の線路を見ているA君の姿が目に飛び込んできました。
側にいってA君をそっと抱きしめた時、私の心から怒りは消え失せA君に対して申し訳なかったという気持ちでいっぱいになりました。私を見るA君の目には涙があふれていました。手にはクチャクチャになった一万円札が握られていました。
更生するために頑張っていたA君に以前の悪癖を誘因してしまった教師としての未熟さを詫び、お金を使うことのできなかったA君の心に救われた涙の思い出です。
平成19年1月19日掲載
第二話 あたりまえが嬉しい
「大変ですね、傘をお貸ししましょうか?」4歳の息子と雨の降る中を歩いていた私の姿を見て声を掛けて下さった方がいました。「ありがとうございます、でも結構です」と丁寧にお礼を言って約三十分間の道のりを黙々と雨の中を二人で歩いた事を思い出します。
私は久し振りの休日を4歳の長男と三歳の長女と一緒に家の中で楽しく過ごしていました。その時、電話の呼び出し音が聞こえました。会話が出来るようになった長男は電話口に出てしばらく話しをしてから私のほうに来て「お母さんがもうすぐ帰って来るって」と言って又一緒に遊び始めました。しばらくすると家内がずぶ濡れになって帰ってきました。家内は濡れたまま息子を抱きしめながら「うそをついてはいけない」と厳しい口調で言いました。家内が傘を持っていないのでお父さんと一緒に駅まで迎えに来てね、と息子に頼んだのに息子は私と遊びたくて真実を伝えなかったのです。
「篤史、お父さんと一緒に駅まで行って来ようね。お母さんの気持ちを考えながら歩こう」と話し、傘をささず雨の中を二人で駅まで歩きました。雨のため息子の涙は確認できませんでしたが私の前をずぶ濡れになりながら下を向いて歩いている息子の後ろ姿に反省の色が見られました。
家に帰るとお風呂が沸いてました。二人でお風呂に入った後、息子は母に泣きながらあやまり続けました。家内はその息子を長時間抱きしめていました。
その息子も今は立派に成長し働いています。私は子どもは社会からの預かりもの、親として責任を持って育て上げ胸をはって社会にお返しできるようにしたい、と考えながら我が子を育てる努力をしてきました。
息子と心の会話が出来た昔日の思い出です。
もう20年も前の話です。小さな山の中の学校で私は6年生8名の学級担任をしていました。
理科の学習で植物の勉強をした時。「スギナは畑の大敵です。スギナの根はどのように
なっているのでしょうか」と問い掛けました。子ども達は『畑の大敵』という言葉を手掛かりに
根の想像図を描きました。
休み時間、私は教室で事務をとっていました。雨の為外に出て遊べない子ども達は、私の
机の周りに集まり、ああでもないこうでもないと話していました。
「先生!」という声がしました。見ると正美さんが、ずぶ濡れになって机の前に立っていました。
手には、泥だらけのスギナが握られていました。
「正美さんえらかったね。スギナを洗って黒板に張っておいてね。それから風邪をひくといけないから頭を良く拭いて体操服に着替えるんだよ」と言って再び仕事を始めました。
「先生!正美ちゃんにあやまりなよ!。正美ちゃんは、この雨の中、一生懸命スギナの根を
掘って来たんだよ。先生はいつも私たちに、感動を大切にしよう。感動した事を表現しようと
言ってるのに先生の言葉には感動が感じられない!先生の嘘つき!」と、亜希子さんが言いました。
私は、泥だらけのスギナを持ってキョトンとしている正美さんの側に行って抱きしめ、
「ごめんね正美さん」と言って、濡れた髪の毛をハンカチで拭き、一緒にスギナの根を洗い、
洗い終えたスギナを正美さんに黒板に張ってもらいました。すると子供たちから正美さんに大
きな拍手が贈られました。「さすが、先生」との亜希子さんの声も聞こえてきました。
何気ない教師の言動の陰に、教師として、大人としてのエゴが存在する恐ろしさが身にしみました。もし、亜希子さんの怒りの声が無かったら、また、亜希子さんの声に腹を立てたり無視したりしていたらと考えると身が震える思いがします。子供たちに育ててもらいながら現在の自分が存在している事に感謝し、勤務しています。
平成18年9月13日掲載
最高の笑顔の若い夫婦が可愛い赤ちゃんを抱いた写真を掲載した年賀状が届きました。余白には、「先生、僕もやっと父親になりました」との言葉が添えられていました。
かれこれ二十年になるでしょうか。A君が万引きをしてしまいました。教室でA君と話した後、ご家庭に連絡しました。
「A君が万引きをしたのですが、よろしかったらこれから彼と一緒にお店にあやまりにいきたいのですが」
「先生、ちょっと待って下さい。先生に行っていただくわけにはいきませんのでこれから学校に行きます」
しばらくしてA君の父親が来校しました。父親は、私に挨拶をした後、A君の前で正座をしました。
「父親としてお前を教育できなかった。許して欲しい。今から一緒にお店に行こう。私は親としての責任を果たしたい」
それまで、ふてくされていたような態度でいたA君が突然泣き崩れてしまいました。
父親とA君、そして私の三人で店にあやまりに行きました。店長さんも父親やA君の誠実な姿に接し許してくれました。
「先生ご迷惑をおかけしました。この子は、二度と万引きをしないと信じます。A男、家に帰ろう。お母さんも心配しているから」
「お父さん、本当に ご・め・ん・な・さ・い」
立ち上がれず泣きながらとぎれとぎれにあやまるA君をそっと抱き起こし支えながら家路についた父子の後ろ姿を私は、いつまでもいつまでも見送っていました。
立派に成人したA君に年賀状のお礼と長男出産のお祝いの電話を入れました。
「先生、お久し振りです。僕はやっと父親になりました。でもまだ、僕の父をこえられません。これからも父を師として頑張ります」と応えてくれました。
「おなかが痛い、気持ちが悪い」
高校二年生の夏休みが終わった頃、毎朝、娘が家内に訴える言葉でした。それから約二か月の間、家内は娘を高校に送り届けてから勤務先に出勤していました。
「毎朝ご苦労様。私が娘を送ろうか」と尋ねると
「今まで娘とゆっくり語り合う時間がないままに過ごしてしまいました。考えてみると毎朝、娘を送る三十分が私にとって貴重でかけがえのない娘とのふれあいの時間になっています」と家内は応えました。
私には年子の兄と妹の二人の子どもがいます。夫婦共働きのため学校から帰る子どもたちを「おかえり」と言って迎えてやる事はできませんでした。兄は、運動が大好きで外向的な性格でしたが、妹は優しく思いやりのある内向的な子でした。
家庭環境は家内が中学校の教員だったため帰宅も遅く子どもたちとゆっくりと対話するゆとりも無い状況でした。親の仕事の忙しさも知っている子どもたちは、祖父母に支えられながらも助け合って生活をしていました。
中学生になった娘は、毎晩寝る前に母親に手紙を書くようになりました。家内は帰宅するとすぐ手紙を読み返事を書いて娘の枕元に置くことが日課となっていました。母と娘をつなぐ太い絆だったのだと思います。
それでも娘は寂しかったのだと思います。本人も気付かない蓄積された内面の寂しさが、「おなかが痛い、気持ちが悪い」という言葉になって現れたのだと思いました。どんなに辛くとも学校を休ませなかった母親と、言い訳をしたり他者責任にしたりせず休まず登校した娘の苦しさが今でも脳裏をよぎります。親子で問題を共有し壁を乗り越えたことによって現在があると痛感します。
泣き虫で寂しがりやだった娘は現在、看護士として北海道で老人医療に携わっています。親元を遠く離れた地で頑張って自分の夢を追い続けている娘の姿に学ぶ今日この頃です。
平成18年12月22日掲載
第五話 親子で問題を共有
七夕飾りの短冊に、『いつかお世話になった先生方に恩返しができますように』と書かれたS君の言葉を見ておもわず涙が込み上げてきました。
A君は、小学五年生の時に転校してきました。五人兄弟の長男として家では母親の手伝いをする優しい子どもでした。
転校して環境も変った為か五年生の時は、ほとんど学校に来ることはありませんでした。担任の先生が何度も家庭訪問しても改善はみられませんでしたし、学校から電話をしても通じませんでした。
六年生になったA君は、万引きをしてつかまってしまいました。忙しい母親にも連絡がとれず、私が店に行ってA君を引取りお母さんの帰りを待ちながら何時間も話しました。
何日かしてA君は登校するようになりました。しかし、教室には入れず保健室登校でした。養護教諭の先生との生活が続きました。
A君は一日も休まず保健室に通い養護教諭の先生との信頼関係もできてきました。その頃から自分の感情も出せるようになってきました。いらいらしてくると一人で校庭に飛び出してしまったり、物にあたったり、狭い戸棚の中に入ってしまったり………自分をなんとかしたいとのジレンマの中で自分自身の心と戦い続けていたのだと思います。
忙しいお母さんに来校してもらい、A君の短冊を見てもらいました。その文を見るとお母さんは号泣してしまいました。その後、A君の最近の様子をお伝えし、対応について話し合いました。私の願いと思いをお母さんは理解してくれました。
その日からお母さんは学校と緊密な連携を心掛けてくれました。A君は、中学校に行っても元気に頑張りました。A君が自分に勝てた背景に母親の教育力の偉大さを痛感した出来事です。
平成20年1月15日掲載
第8話 自分に勝ったA君
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林 校長先生のコラム
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